綺麗道に至るまでの道のり

悩めるワーママ自信がもてない

当時の私はフルタイム勤務の2児の子持ち。

いわゆるワーママでした。

会社では定時に帰るためわき目も降らず必死に働いていました。

なのに定時で帰ることに罪悪感を抱きながら
他の社員の視線を見ないようにしてそそくさを会社を後にする毎日。

向かう先に待っているのは保育園、学童にいる2人の子どもでした。

毎日時間に追われ、自分の時間なんてものはありません。
たまにある平日休みだけが自分に許された唯一の自由時間です。

会社に対して不満はありました。
ですが、子ども2人を抱えていては主人一人の稼ぎだけでは心配すぎます。

なので、どんなに大変でも夫婦共働きでいることが
「家族の幸せのため」そう思っていました。

そもそも私は自分のことがあまり好きではありませんでした。

・・・人と上手に話せない。

コミュニケーションに関する不安がずっとあったんです。

「人と気軽に楽しく話ができるようになりたい。」

そう思ってチャレンジはするんですよ。

けれど、相手が何を考えているか気になってしまって
本音が言えないこともしょっちゅう。

なんだか思うように話せなくて
いつも帰ってから自己嫌悪を抱くことも多かったです。

表面上はニコニコ笑顔でも
周りの目ばかり気にして小さくなってしまうなど

そんな部分が大きく影響して
俗にいう「自己肯定感が低い人間」でした。

周りとうまくやれない自分は『ダメな人間』

これまでずっとそう感じてきました。

そんな私ですが、高校時代に大好きな先生がいました。

「私もあんな風に教室を笑顔でいっぱいにしたい」
と教師を志し、教育大学への進学を選びます。

けれどそううまく事は運ばず、卒業する頃には
「私なんかが先生と呼ばれるなんておこがましい。まだまだ人生修行が必要だ。」
と一般企業への就職を選びました。

どんなに頑張っても「まだ足りない」

結局、自分に自信を持てず
抱いていた夢を先送りにしました。

就職先は地元新潟の大手冠婚葬祭業の会社でした。

「お客様との温かいお付き合いを大切にします」
という会社案内の一節。

「温かいお付き合い」という言葉に強烈に惹かれ
「ここにいけば温かい人間関係が手に入るかも」と思いました。

入社後、配属先は【葬儀部門】でした。

身近な方を亡くされるという人生最大の悲しみ。

その真っ只中にいるご遺族様に寄り添う
サービス業の中でも最も難しいと言われる道に進むことになりました。

おじさんばかりの職場で女性社員はわずか数名。

仕事柄、ご遺体に触れることもあるので
肉体的にも精神的にも大変な部分はありました。

この頃の私は表面上は取り繕って話はできても、根っこの部分は内向的。

なのでお客様との深いおつきあいなんて結局できなかったんです。
気難しいお客様の担当になった日は胃が痛くなりそうでした。

周りの社員たちはもともと外向的な人が多く
お客様とのやりとりを見るたびに
「私はダメだ」と劣等感を抱くこともありました。

「やめたら負けだ」

なぜかそんな思い込みがあったので
私には会社内で生き残るしかありませんでした。

苦手な会話を補うために、自分用のマニュアルを作り
上手に言葉が出るように努力しました。

毎回葬儀の度に反省点をノートに書き連ね
うざがられるほど先輩社員に質問したこともあります。

幸い活舌は良いほうで、
決まった言葉であればすらすらと話せるようになりました。

じきに大勢の人を目の前にした司会業務も普通に
こなすことができるようになっていました。

予定の立たない葬儀屋という仕事の性質上
仕事はとにかく不規則でした。

その日急に残業を言い渡される。
定時で帰ろうと思ったら電話が鳴り葬儀受注にいくことになる。

なので電話の音にいつもビクビクしていました。

休みは月に7日か8日。お盆正月も関係ありません。

そんなことよりも一番苦痛だったのが
毎月のしかかる「ノルマ」でした。

会員を取らないと成り立たない業種だったので
毎日のようにノルマの話。

そして月末に必ず訪れる殺伐とした重―――い空気感。

大晦日の日に、無理やり昔のお客様に頼み込んで
会員になってもらったこともあったっけ。

本当に毎日が地獄のようでした。

・・・この仕事は私には向いていない。

そうは思っても
正社員であることが私には絶対的な存在理由でした。

だからやめたいけどやめられない。

「ダメなワタシ」は頑張ることしか選択肢がなかったんです。

葛藤を抱えながらも
目標にしていた30歳には結婚するという夢を叶えます。

子どもが二人欲しいという夢も叶えることができました。

家族ができたら幸せになれる?

家族という居場所ができました。

ですが、相変わらず自分のことは認めてあげられませんでした。

むしろ子どもができたことで
思い通りいかずにイライラする場面も増えます。

今度はイライラする自分はダメだと自分を責めるようになりました。

子供に優しく大らかなお母さんでいたい。

そういう理想像があってもそうなれない自分がいました。

「もっと自分がすごくなったら自分を好きになれるに違いない」

自己啓発、心理学、ネットビジネス、子育てセミナーなど様々なものに手を出しました。

始めは1万円を出すにも怖かったのに
いつの間にか10万円を優に超す商品も買うようになっていました。

けれど

資格を取っても
自分のことがわかっても
外見が変わっても
知識が増えても

それぞれ少しずつの変化はあっても
大局に変化はありませんでした。

結局私は会社を辞める勇気がなかったんです。

自分にそこまでの自信が持てませんでした。

ワーママ限界を超える~家族拒否

ワーママ時代は、料理が一番の苦痛でした。

毎日会社と保育園の往復だけ。
仕事が終わってやっと帰ったと思ったらすぐにごはんの用意。

子どもになんとかごはんを食べさせて
次はお風呂からの寝かしつけ。

毎日が戦争のようでした。

ですがどんなに時間がなくても
家族のために料理だけはしなくてはならないと。

なので、できるだけ時短、簡単
手間のかからない料理が選択基準でした。

料理が楽しいなんて思う余裕もありません。

どんなに頑張って作っても、食べたら一瞬。

それを毎日作るなんて私にとっては苦痛でしかなかったんです。

出産をきっかけに食への不安な情報がたくさん耳に入るようになっていました。

日本は添加物王国だと。

マーガリンはだめ、パンもだめ、ハムやウインナー
冷凍食品もスーパーの総菜もダメなもの。

私の世界にはどんどん駄目なものが増えていきました。

スーパーに行けば商品の裏面の表示を眺め
ため息ついて棚に戻す。

そんな場面が増えました。

「安心して食べられるものが全然ないじゃない・・・。」

食べ物自体には罪はないのに
食とそれを生み出す社会を敵のように感じてしまっていました。

そうは思っていても全てを完全に避けることはできません。

理想通りにできない現実がのしかかってきます。

「毒を子どもに食べさせているなんて私はダメな母親だ・・・」
いつからか食の面でも自分を責めるようになっていました。

家の外では怒らないように必死に隠し
でも体の中にはドロドロしたものが溜まり続けています。

なので家ではいつもイライラしていました。

感情がぶれやすく、すぐにキレて
モノを投げつけるようなことすらありました。

そんな自分を好きになれるはずがないですよね。

そして、上の子が小学校に入る頃。
「ソレ」はやってきました。

「学校に行きたくない」息子が毎朝泣くのです。

息子には小さい頃から発達の凸凹があり
ずっと心のうちに抱えていた『心配の種』。

それが小学校入学を境に
ついに芽を出してしまいました。

ちょうど下の子は2歳になる頃でまだまだ手もかかる時期。

たくさんのものが私の肩にのしかかってきました。

ただでさえ朝は時間がなくて大戦争。
時間は1分1秒でも惜しい。

でも息子が私の“邪魔”をしてくるんです。

私は毎日こんなに頑張っているのに・・・。

不満、怒り、不安、恐怖・・・
たくさんのもので私の心がどす黒く濁っていきました。

実はあまりにツライ時期だったのでほとんど覚えていません。

ただ、一つだけ記憶に残っている場面があります。

今まで誰にも言えなかったのですが
ここではじめて告白します。

それは
スマホに向かって「子供 縁を切る方法」
と検索をしている私の姿。

会社も家庭も全てが八方塞がり。

どうにもならない毎日のせいで
いつの間にか「子供を捨てたい」とまで
思うようになっていたんです。

もう限界がきていました。

「会社を辞める」ことに真剣に向かい合う時が来ました。
家族を守るために。

会社教からの脱出

これまで心を失い、家族も失いそうになりながらも
必死にしがみついてきた「正社員」の座。

ですが、もうこれ以上進んだら本当に大変なことになってしまう・・・
それは分かっていました。

もう過ちを繰り返すわけにはいかないんです。

ただ不思議なもので「会社を辞める」と覚悟を決めたら
今まで見えなかったものが見えてきました。

これまでの経験が全部無駄になると思っていたんですが
そうじゃなかったんです。

多くのことに悩み、苦しみ、人とぶつかり、怒られ、
ときに褒められ、笑いあった日々。

入社して、結婚、出産という私の人生の節目はこの会社と共にあったんだ。

思い起こすと全てが意味のあることだった
と思えるようになっていました。

16年間務めた会社。

憎むどころか感謝の気持ちを朝礼で述べた
あの雨の日のことは未だに忘れられません。

ようやく長きにわたる戦いの日々から解放される。

ちょうど時代が令和に変わったその翌月。
私の第2の人生がここからはじまりました。

運命の出会い

会社を辞めたあと、しばらくは自分探しの日々です。

そんな時に出会ったのが、四柱推命でした。

これまでも占いは何個も受けていたんです。

ですが、四柱推命の鑑定で大きな衝撃を受けたのが
生年月日から生まれ持った五行バランス
いわば体質がわかるというものでした。

大きな病気こそしていませんでしたが
未病と呼ばれるような様々な不調はいくつも抱えていました。

貧血、胃下垂、胃腸虚弱、生理痛、冷え性、低血圧・・・。
まあ地味にたくさんあったんですね。

でもその原因が見えてしまったんです。

ここのバランスが悪かったから、症状が出ていたんだ・・・。

今まで知らなかった私の身体の秘密がそこには紐解かれていたのです。

私にとっては世紀の大発見。
今までにない高揚感がありました。

五行という視点を使って自分の弱いところがわかれば
あとはそこにアプローチすればいいだけ。

ゲームの攻略本を手に入れた感じです。

今までただ不調があっても
放っておくしかできなかったんですよ。

なのに今まで自分では何もできなかったことに
これからは自力でアプローチできる。

これは私に大きな希望をくれました。

私は無力じゃないんだって。

世界の変化と新しい場所

そして、この出会いが「食」の力に気づくきっかけでもありました。

過去に学んでそれっきりだった、薬膳や漢方。

五行を知ることでやっと
その本来の秘められていた力に気づきます。

学びが浅いうちは気づけなかった叡智がそこにはありました。

薬膳ではすべての食材には効果効能があると考えられています。

薬膳の考え方では、何を食べても「体のため」になる。

食材を敵にしていた私にとって
まるで罪を赦す免罪符をもらったような気持ちになりました。

私にとって何かを食べてはダメというのは
単なるストレスでしかなく

結局ストイックにもなれず
できない理想ばかりを追い求めていたから苦しかったんだと
本当の心に寄り添うことができました。

五行の力が薬膳と結びつくことで
点と点がつながり線になって
そして目の前に新たな世界が広がったんです。

―食事は私に生命力をくれるー

そこに気づいてから私の世界は変わっていきました。

ちょうどその頃人に勧められ、noteというブログを始めました。

その中では私は「自由」でした。

私が書いたものに対し、誰かが反応してくれる。

何を書いても温かく迎えてくれるんです。
ただただ楽しかったな。

毎日更新するようになり、フォロワーさんも少しずつ増えていきました。

コメントでやり取りしたり、直接メッセージしあう仲間も見つかりました。

パソコンの中だけど、人とつながっている。
ずっと求めていた「温かいお付き合い」がそこにはあったんです。

これまで「自分を出す」ことを怖がっていましたが
ここでなら自分を出してもいいんだ。

やっと本来の自分でいてもいい場所が見つかりました。

私だけの商品が生まれる

noteでの発信が楽しくなった頃
とあるWEBマーケッターの方とのご縁をいただきました。

その方のアドバイスのおかげで
四柱推命による『体質鑑定』とすぼらな私でもできる『ずぼら薬膳』を組み合わせた
「からだ攻略ガイド」という商品を考案しました。

今まで何もできなかった私にとって初めて作りあげた
「私だけの商品」の誕生です。

スキルシェアサービスを利用し、オンライン上での販売。

どれも初めてのことだらけでしたが
発売後は1ヶ月で健康ジャンル1位
2ヶ月でゴールドランクまでいくことができました。

そして何よりもお客様から
次々届く喜びの声が私に力をくれました。

―私が創ったもので誰かを笑顔にすることができるー
これは私に大きな自信をくれました。

家庭での変化

家庭でも変化がありました。

特に料理への意識が変わっていったんです。

仕事をしているときには気づかなかった畑の野菜たちの生命の輝き。

畑に行き、実際に野菜たちを見ているうちに
「やりたいと思えることは何でも試してみよう」
と自然と思えるようになっていました。

黄色いゴーヤを食べてみる
ずいきという謎の野菜
唐辛子でジャム作り
そら豆からの手作り豆板醤。

毎日「初めて」があふれていきました。

たかが料理と思われるかもしれません。

ですがちょっとした挑戦であっても
それを毎日積み重ねることで私は確実に変わりました。

新たなものへ挑戦する楽しさと意欲を与えてくれたんです。


あれだけ嫌だった料理が、愉しくなり
そして『ダメ人間』だった私に自信をくれた。

料理は単なる作業でなく、人生の一部。

そして新しい挑戦を応援してくれる懐がありました。

料理とは私という人間を作る大事な要素である
それに気づくことができたんです。

そして、私が変わったら我が家の食卓も変わっていきました。

ママ、これ美味しい!子供と夫の笑顔。
そして家族団らんの温かい食卓がそこにはありました。

戦いに挑み大切なものを失う

「もっと多くの人を笑顔にしたい。」

そう思うようになった私は
あるビジネスコミュニティに関わるようになりました。

主催者の方が懇意にしてくださり
ファスティングコーチとして活動することになりました。

合わせてビジネスコンサルもしてくださったんです。
全て順風満帆だと思っていました。

けれど実際はそこから少しずつ歯車が狂い始めました。

始めは言われるがまま、お勉強をさせていただいていたんです。

ですが、ちょっとずつ主催者の方の方針に
違和感を感じるようになっていきました。

ただ、そのときは違和感を感じながらも
そのまま無理して進み続けてしまいます。

結果を出さなければ自分に価値はない。

かつての自己肯定感の低さがそうさせたのかもしれません。

正社員・安定といった
偽りの自分の価値を手放したくないがために
毎日歯を食いしばっていた会社員時代のように

また戦うを選んでしまったんです。

休む・逃げるの選択肢は私の中にはありませんでした。

そして前に進むことだけを考えているうちに
いつの間にか自分の心が置き去りになっていきました。

その結果、数か月後には肉体的にも
精神的にもボロボロに疲れ果て
ついには体調を崩してしまいました。

うまく休むことができなかった私に
身体からの強制終了ボタンが押されました。

そして私の存在意義だった
ブログの毎日更新もできなくなっていきました。

私の温かい居場所だったブログ。

更新や交流ができなくなっていくうちに
どんどん私の周りから人がいなくなっていきました。

自分の心の声に気づく

3か月間声が出ない状態が続きました。

家族含め人との会話が強制的に遮断された世界では
ただ自分と向き合うしかありません。

完全に停滞していました。

そんなある日のこと。
日本海に沈む夕日を眺めながら気づいたことがありました。

あなたの本質は『太陽』。
明るく輝いていて、みんなのムードメーカーのような存在なんですよ。

四柱推命に初めて出会ったときに言われた言葉。

その言葉は当時自分に自信がなかった私に
勇気をくれたものだったんです。

ここで、気づいたことがありました。

まるで太陽が反射して海をキラキラと輝かせ
地球上の生き物たちに光とあたたかさを与えるように

私自身が輝くのが目的ではなく
毎日頑張っている女性たちを輝かせたい。

それが本当の心の声だったんです。

私が頑張ってどうにかしようとするのではなく
女性たちが本来持っている輝きを引き出せるように
サポートがしたかったんです。

これまでに私は会社や男性社会に戦いを挑み
子育てにも敗れ、何度も討ち死にしてきました。

だからこそ今もなお毎日戦っている
女性たちの力になれることがあるはずなんです。

やっと私の道が見えた気がしました。

自分の道を見つけ前に進む

世界の本当の美しさは調和だと思っています。

調和=美

これは人間も同じです。

カラダと心がバランスをとって調和している状態が
美しくて、健康である状態。

そんな美しく凛としたオーラが内側からにじみ出るような
見た目だけではない”綺麗”な女性を目指して進む”道”

ー 綺麗道 きれいどうー

そう名付けてから5年がたとうとしています。

始めはそうなりたいという願いから始まり
ただもがいていただけでしたが
今は迷いなく前に進むことができる気がしています。

私は毎日頑張っている日本人女性を心から応援したい。

日本には過去の私のように
「私はダメだ」と無意識に植え付けられて
本来の輝きが見えなくなっている女性たちがいます。

毎日戦っている女性たちがいるんです。

私がかつて助けてもらったときのように
もっと「食」や「智慧」を上手に使って内側から輝いて欲しいんです。

そして、社会や誰かの声に惑わされず
自分の軸をもち、心の声に正直に選択できるようになって欲しいんです。

女性が変われば家庭が変わります。
家庭が変われば社会が変わります。

女性は大きな力を秘めています。

あなたが笑顔になることで
もっともっとたくさんの笑顔が咲きほこる世界になるんです。

一人の力は小さくても
連鎖し、広がっていけば世界を変えるほどの大きな力になります。

その先の世界では
今より美しく、本来の魅力に満ち溢れ
自分らしく生き生きと輝いているに違いないんです。

そのための一助となりたい。
それが私の本当の願いです。

はじめは四柱推命による体質鑑定から始まりました。

今は、より多くの方が実践できるように

時短、お手軽誰でもできる
スーパーの食材で作る「ずぼラク薬膳」としても
さらにブラッシュアップ。

また、季節を大切にしてきた
日本の暮らしの叡智もお伝えしながら
毎日頑張っている女性たちを陰から支えていきたいと思っています。

ぜひあなたと一緒に世界を明るくするために歩みたいんです。

私にお手伝いをさせていただけたら嬉しいです。

ずぼラク薬膳講座資格取得コース

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中医学の基礎からレシピ考案までを丸ごと学ぶことができます

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テーマごとの開催。短時間でも愉しく薬膳を学ぶことができます。まずはどれだけ手軽なのかご体感ください。